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地方が面白くないって誰が言った? 飲食で変わる地方の未来③〜一軒のカフェが街の再生のきっかけに〜


この記事は弊社代表・佐藤による時事通信社「地方行政」誌2020年7月27日号への寄稿の記事転載となります。



なぜ地方は面白くないといわれるのか?
その3〜どこにでもあるもの、見たことがあるものに人はワクワクしない〜

 さまざまな業種の大手チェーン店が立ち並ぶ街の風景は、社会の最低限の必要インフラが揃っているという意味では街の必要条件であるのでしょうが、その街の誇りや、その街にわざわざ外のエリアから足を運ぶためのモチベーションにはなりません。その街にしかない、何ものかを放棄しているかのようにさえ見えます。

 我々飲食事業者の立場においては、本当ならその街の歴史、地形・風土、伝承されてきた建造物、そしてその地域の農林水産・酪農・畜産業の食材を使うことでしか生み出し得ないメニューや業態・空気感を提供できる店が、街の面白さをつくることができるはずです。ここを蔑ろにしてしまってはダメです。

 その街で働く人、住まう人、訪れる人、移住する人が交ざり合うことで本来生まれるはずの思いがあるはずなのに、それを反映していない近視眼的な観光ビジネスや、補助金頼みの再生プランという「どこにでもある」「どこかにある」ようなものとなってしまっているのではないでしょうか。
 これではその街を人々がじっくり訪れたい、その街に住みたいという動機を見つけることはできません。

 それは「世界一の〜!」とか「日本一の〜!」というような定量でのタイトルホルダーでなくてよいのです。
 その街の独特の味わい、人と人とでしか形成し得ない芳香のようなものの話です。



ゆっくりわが街、わが周辺を見渡してください。

 何かが見えてこないですか?
 皆さんの街の「笑顔いっぱいで客を迎えてくれる、家族経営のあの定食屋さん」が愛おしくならないですか?
 「いつも変わらぬスタイルで、最高の音楽をマスター自らLPレコードで選曲してくれるカフェ」で過ごす時間は豊かではないですか?

 そうです、我々は食という仕事を通して、その奥行きにチャレンジしています。
 「一軒の素敵なカフェができるだけで、街の再生へのきっかけになることがあるのだ」という思いで!

 いよいよこれから「長い年月をかけて育んできた強いコミュニティー」「独特の面白さを失ってしまった街」や「放ったらかしになったままのエリア」に目を向け魅力を掘り起こし、ギャップを乗り越えてきた、我々のプロジェクトの歩みを実例を挙げて書いていきます!



蔵前ってどこ? 2010年春

 我々の東京本部は、東京都台東区蔵前の隅田川沿いに位置します。1970年代に建築された7階建て延べ床面積600坪ほどの、どこにでもあるRC構造の古いビル1棟です。現在、事務所として使用しているワンフロアを除き、全フロアを店舗として使用しています。
 2010年の春、「東京本部兼飲食店舗としてはいかがですか?」という仲介業者からの案内でその物件に出会いました。当時の蔵前は都内中心部である港区界隈の人たちからすれば、何となく知っているけれど一体どこだっけ? という感じの町でした。年配者からは「あの国技館のあった所ね......」と言われていました。もうその頃ですら25年以上も前の(蔵前国技館は1984年閉館)話でしたが(笑)。
 ビル前での一見「何の変哲も無いなあ」という印象は、内部に入り覆ります。
 2階以上のフロアからは窓越しに隅田川と建築中の東京スカイツリー、川岸には屋形船、対岸には高速道路の高架を行き交う車の流れ......。「隅田川に浮かぶ江戸情緒」と「日本一の高さとなることを約束された最先端の建造物」「夜には車のイルミネーション」、これは面白いことになる。一目でそう思いました。とはいえ、取りあえずは色々ヒアリングを試みました。およそ我々が面白いと考えるいわゆる辺鄙なエリアに関しては、いつものごとく後押ししてくれるような世間の見解は聞こえてきません。都内中心部での生活者の誰に聞いても「蔵前っていいよね」という意見は、恐ろしいことに一度たりとも出てきませんでした。
 それにはもう慣れっこの我々ですから、飲食店舗にとって大きなマイナス要因(大きな騒音が出たり悪臭が立ち込めたりする工場が隣接している等)がないかどうかのみをチェック。

 事実、当時そのワンブロックには一軒の商店もありませんでした。あったのは「幼稚園」「消防署」「税務署」「国技館跡地利用公園」「教会」「郵便局」「倉庫」「人の出入りの無い何らかの東京電力の施設」等々、およそ午後5時を過ぎた日没後は誰も歩かない街でした。

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写真1 弊社出店前の「ミラービル」



可否の判断はたった一つ
「自らが行きたいと思えるかどうか?」

 僕の決定のためのプロセスは、正直たった一つなのです。今回は、これから新たな案件に着手されようとしている方々に特別にお教えします。
 我々が生み出した最高の成功へのスペシャルな秘策を‼

 それは「自らが行きたいと思えるかどうか? で判断する」ということです。

 すみません、あまりに平凡でつまらない秘策で。
 しかし本当にそうなのです。僕にとっても、決して小さな投資・リスクではない中での決断は容易ではありません。だからこそ今回も自分の感覚と向き合い、そこに店があれば心から本当に行きたいのかどうか? を確かめようとして下記の行動に出ました。

 まずは港区の自宅から自転車で現地に向かい、すぐさま目の前の隅田川沿いをランニング、終了後、ペットボトルを手にビルの屋上に向かい、そのまま大空の下に寝転がりました。
 川を抜ける風に吹かれ、五月晴れの空に包まれながらぼんやりと、各フロアの利用法やテラスから溢れるお客さまの笑顔、そこでカフェを営む自分自身の姿が頭の中に次々と映像としてやってきました。

 「ここに素敵なカフェがあれば僕なら絶対に来る!」......確信しました。



川や水辺は身近な存在

 我々関西出身者にとって、川は身近な存在であり生活に根差しています。
 けれど東京中心部の人々にとっては、今でこそ水辺を活用したプロジェクト「ミズベリング」等の新しい取り組みにより少しずつ変わってきましたが、当時は生活の中で川の魅力をあまり意識しない状況でした。日本橋が高速道路の高架下に埋没しているのも、ある意味その象徴です。

 しかし関西においては川はもっと身近です。我々自身も大阪市の中之島川、道頓堀川それぞれの川沿いの公園にPFI(民間資金活用による社会資本整備)でカフェを出店していますし、京都人にとって鴨川は街の中心にあり、散歩、運動、デートに欠かせないスポットです。
 それに比べ、当時は隅田川が思い出されるのは夏の花火大会の時くらい。
 そんな中、都や国は十数年前から少しずつ川が人々の暮らしに溶け込むよう地道に活動を行ってきています。今や隅田川は立派な「かわてらす(京都の『川床』の東京版)」を持ち、整備が今なおどんどん進み、散歩したり運動したりする多くの人々を見掛けるようになりました。
 海は確かに魅力的であることは認識されているとしても、皆さんの街でもその川辺や池というさりげない水辺が、置き去りになってはいませんか? もちろん災害時の対応を含め、簡単に進められることではないことも承知していますが、もう少しその魅力に目を向けてみませんか?



やはり改革するのは若者・他所者・馬鹿者なのかもしれない

 また現在、地方でアイデアを凝らしさまざまなプランニングを皆さんが進めている中で、僕はこう思うのです。
 その街、そのエリアの良さも悪さも、人間関係の交流もしがらみも歴史も因習も、よくご存じの地元の識者やご意見番だけによる改革は難しいのではないだろうか? と。

 この蔵前出店に際し、地元のある有力者の方に色々なアドバイスを頂きました。あまり動きのない穏やかな古き良き街ですから、町内会の調整や関連するさまざまな方々との関係づくりも大事です。その中でどんどんプランが進んでいったある日、こう話を切り出されました。

 「この街に目を付けてくれたことはありがたいと思っている。君とほぼ毎日コミュニケーションを取り、日々親しさが深まっていく中でこの街に投資し、進もうとしている本気の姿を見てどうしても伝えたいことがある。悪いことは言わないからやめた方がいい。君のことを思っての意見だ」

 衝撃的な言葉を、気を使いながらも真剣な眼差しで言ってくださいました。

 それこそ条件整備が終わり、契約を結ぶ数日前のことでした。
 「僕はこの街に代々続く家に生まれ、この街で育ち今も住まう。この街のことを十分知り尽くしているつもりだ。君は関西出身で、しかもこの街のことを全く知らない中で進もうとしている。この街で君の考えているようなビジネスは無理だ。夜間、人は歩いていないよ。今さらだと思うだろうが、君との関係性や親しさが生まれたからこそ敢えて伝える。悪いことは言わないからやめなさい」と。

 僕は静かにうなずきながら、その方の話に耳を傾けました。
 「本音で言ってもらっている! ありがたい!」と胸でつぶやきながら。
 そして今まで読んでくれている皆さんなら、ここで僕が怯むわけがないことは想像できますよね。このギャップこそ望むところだからです。

 「あの蔵前でそんな店できるわけないじゃん」「あり得ない」「無理だ」「何考えてるの? よそ者でこの街のことを知らないだろうから......」
 そうなんです。よく知らないからこそ、しがらみがないからこそ、ある意味その「今まで」を破壊し、再びつくり直せる可能性があるのです。若者ではありませんが他所者、馬鹿者の私たちだからこそできる取り組みです。

 結果、躊躇うことなく契約を結び我々のプロジェクトはスタートしました。2010年暮れから着工し、翌年4月1日を開業と定めました。その方には「大丈夫かい?」と、本当に親身になっていただきながら。

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写真2 台東区蔵前「ミラービル」



当たり前です! 一筋縄ではいきません

 何となく感じてもらっていると思うのですが、翌年2011年4月といえば、そうです。東日本大震災の翌月です。3月11日は工事の最終段階、佳境中の佳境でした。
 震災後、当然工事は全面的に止まりました。そして翌日には東京電力福島第1原発の原子炉建屋の水素爆発という大変な事態となります。
 工事請負会社の代表からは「工事続けますか?放射能流出の話が出ていますよ」という、問い合わせの電話があり、当然思いも寄らない大きな決断を強いられます。
 皆さんもさまざまな大きく、困難なプロジェクトを手掛けられる中、全てが順調でトントン拍子にいくなんてことはめったにないのではないでしょうか? 何事も一筋縄でいくことなど稀です。
 しかも今回の「プルトニウムがやってくる!」......、などという事態は真偽の確かめようがなくまして自分では解決しようもありません。
 そんなどうしようもない事態に追い詰められたときの決断の方法を僕は決めています。できる限り多くの情報を手に入れ、最悪の事態を想定し、そこにおけるリスク対応の術を検討した上で、最後は自分の心の本音に問い掛けるというやり方です。

 今回であれば、最悪の事態とは我々の蔵前エリアが放射能で汚染されてしまうことです。けれどもしそうなったときは、それこそ東京の中心部は壊滅という事態です。我々の物件から日本橋まで直線距離で3㌔以内という立地ですから。
 その最悪の事態が起きたときは、それこそ首都壊滅、ひいては日本の存続まで危ぶまれるということです。そうなれば諦めもつきます。万が一の事態は、もはや一個人一企業マターではないのです。それにより、最悪の事態への覚悟はできました。つまり最悪の想定をすることなく、現状の判断をすればいいということです。日本の存亡を我々民間事業者の一プロジェクト判断に重ね合わせる必要はなく、それこそ運を天に任せようとしたのです。

 地方創生には当然、投資が必要です。その投資のためのリスクは、半端なものではないでしょう。しかし心の中の本音に向き合い、見えないものに怯えず、覚悟を持って進む以外「今ここにないもの」を生み出すことはできないのです。幸い国やさまざまな方々の必死の努力で、何とか原発は最悪の事態を免れました。そして我々の店も予定より10日遅れて、震災発生からちょうど1カ月後の2011年4月11日、オープンにこぎ着けました。雨の夜でした。

 1階から3階まではカフェ「シエロ イリオ」。スペイン語で天空(シエロ)と川(リオ)の意味です。つまり、スカイツリーと隅田川を指しています。4階は川辺の4階のバーということで「リバヨン」......卓球ができる居酒屋バーです。5階は「GOCAI」という名のパーティーホール、6階は事務所、7階は会員制のプライベート空間「プリバード」としてフルハウスで運営しています。年間そのビルだけで、延べ20万人くらい来客があります。また、9年前には一軒の店もなかったこのブロックに、予約も困難なバックパッカー用ホステル、寝かせ玄米(酵素玄米)で有名な和食店、イタリアンレストラン、雑貨店ができました。蔵前というエリアで見ると、米国のサンフランシスコの有名なチョコレートショップや、フランスの飲食店格付け本「ミシュランガイド」二つ星のフレンチレストラン、1000円以上もするプレミアムハンバーガーの店やビストロなど、多くの個性的な素晴らしい店ができました。9年前、夜間には全く人の歩かなかった頃には想像もできなかったのではないでしょうか?

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写真3 ミラービルフロア図

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写真4 「プリバード」のテラス席から隅田川と東京スカイツリーを眺める



物件を所有するということ

 そしてもう一つ、おまけも付いてきました。それは、我々が地方創生を、大きな投資を覚悟して本気で手掛けようと考える一番のきっかけになったことでもあります。

 当初、年間6000万円弱の家賃で賃借契約を結んだのですが、契約後、開店前のあの震災により大家からこのビルを売りたいとの申し出がありました。一番に声を掛けるのは店子さんだと考えたと言われました。600坪もの物件の内装投資を終えたばかりでもあり、資金的には難しい状況です。しかし、今までのプロジェクトでは定期借家契約による期限(主に5年から7年が多い)が切れると、我々が繁盛させたが故に家賃を大幅に上げられたり、もっと好条件でも契約しようとする店子に切り替えられたりということに、幾たびか遭遇しました。我々は、所有することで安定した営業継続ができるならと考え、結局無理をしながらも融資を受けビルを購入しました。結果として、新型コロナウイルス感染が拡大する前の話ではありますが、9年間でこのビルは約3倍の価格評価を受ける物件へと成長したのです。

 これは、地方創生の一つの大きなポイントとなると考えています。誰もが手を付けなかった土地、もしくは忘れ去られたエリアに大きなリスクを負い投資をする際には、土地や建物を取得してから進めるのが大事であるということです。

 新規の開発にはコストが掛かります。もちろん大きなパワーを必要とします。その中で軌道に乗ったと思う頃に大幅な家賃つり上げや、より好条件での他社との契約に切り替えられる状況になった時点で、それまでの投資や努力は一瞬で水の泡となります。そのような状況で、全力を尽くすことはできません。

 また、そこで流した汗が物件・エリアの活性化につながったということで、含みにはせよキャピタルゲイン(売却益)を得られるということは、その事業経済効率の向上に繋がります。これをベースに、我々は地方創生を地元の方々と共に、そのエリア価値向上も含め進めてきています。



こんな酷い話もあります

 正直に言えば、過去に我々も痛い思いをしてきました。酷い大家になると、こんな話もありました。自らの物件でもともと大家が利用、営業をしていた店舗が不振の中閉鎖し、我々が5年間の定期で賃貸契約を結びました。その物件を我々自身でコストを掛けて改装し、思いを込め地域に愛される店として大繁盛させたものの、5年後には契約終了を言い渡されて追い出され、我々の業態や営業スタイル、メニュー構成もそのままに、再び大家自らが運営を開始するという本当に信じられないことも起きました。東京・千駄ケ谷でのことでした。結局、その我々をモノマネした店は1年で廃業しましたが。
 店舗の成功が、単に業態や内装によるのではないのだということの大きな証しでもあります。
 そこで交わされる人と人との思いを重視しない店は、結果何も生みません。

 地方創生を、我々はファイナンススキーム(資金調達計画)的にも、継続性、発展可能性においても、地元金融機関から不動産所有者、生産者、そして何より生活者......、その地を愛するメンバーにより、その地にしかないものとして構成していこうとしています。そんな幸せの輪のプロジェクトを全国各地に広げていくために、収益力や継続性を高めていくことの必要性も学びました。
 ちなみに蔵前では、開業翌年から元蔵3丁目町内の夏祭りで、お神輿を店のスタッフも担がせてもらっています。
 地域の方々に温かく受け入れてもらえたのです。